1月17日 午前5:46 君を想ふ
あの日は翌日ドイツ語のテストで。。 学校近くの友人宅で5・6人の試験合宿。
明け方ものすごく揺れた 随分長い間 それだけ憶えてる。
連日のテスト疲れで全員が起き上がれなかった。
翌日学校へ行くと地震でテストが延期に。
そのとき初めて被害の大きさを知った。
携帯へ毬詠ママンは必死で電話してたらしく、、
電波が殺到してほぼ丸1日つながらなかった。
ああいうときは公衆電話なんね。
とりあえず安否を連絡できてホッとした。
京都の古いお家に下宿してた子は部屋の壁が崩れたって。
のほほんバカ娘が友人の死を知ったのはTVだった。
情報が錯綜して訳がわからない状態で。
法曹の世界で夢を見ようとみんなでがんばってた1人。
道は違ったけれど、みな一生懸命生きてる。
まだまだまだ、なんでもやれたはずだった。
だからすごい悔しいし、ヘボヘボだけど恥じないよう頑張らなきゃって思う。
すごいつらいことがあってもね、みんなが最終局面でがんばれるのは
あなたを思い出すからなんよ。
やっとねー、やっと泣かないで思い出せるようになった。
大人になったもんだわ。
あの震災の怖さは今でも尾をひいてて、
微震でも飛び起きちゃうし、2階以上には住みたくない。
今日この日は、何年経っても君を想う。
みなさん!防災セットは常にご準備くださいね~。
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コメント
当時、大阪の人と結婚していました。
すんでいたのは別のところだったけど。
何故か朝にラジオがなって、震災を告げた。
大阪にはその時に電話が通じたが、その後は通じなくなった。
近い家族は誰もなくなっていなかったが、
親戚の高校生の子がなくなった。
あのときのTV中継は忘れない。
今でも思い出す。
何もできなかったので、せめて大阪へ仕送りだけはした。
それしかできなかったの・・・。
ご冥福をお祈りします。
投稿: wildcat | 2008年1月17日 (木) 07:46
wildcatさま
このときに「また今度」は
あたりまえじゃないことを
実感しました。
各自がそれぞれの形で何かできないかを
探しもしましたよね。
私、このとき人って優しいなって
本当に思えることもあって。
怖くてズキズキする記憶ですが
忘れたくないです。
いたいですけどね。。
投稿: 毬詠 | 2008年1月17日 (木) 21:14