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2008年1月17日 (木)

1月17日 午前5:46 君を想ふ

あの日は翌日ドイツ語のテストで。。 学校近くの友人宅で5・6人の試験合宿。
明け方ものすごく揺れた 随分長い間 それだけ憶えてる。

連日のテスト疲れで全員が起き上がれなかった。
翌日学校へ行くと地震でテストが延期に。

そのとき初めて被害の大きさを知った。

携帯へ毬詠ママンは必死で電話してたらしく、、
電波が殺到してほぼ丸1日つながらなかった。
ああいうときは公衆電話なんね。
とりあえず安否を連絡できてホッとした。

京都の古いお家に下宿してた子は部屋の壁が崩れたって。
のほほんバカ娘が友人の死を知ったのはTVだった。


Nyanko


情報が錯綜して訳がわからない状態で。
法曹の世界で夢を見ようとみんなでがんばってた1人。
道は違ったけれど、みな一生懸命生きてる。

まだまだまだ、なんでもやれたはずだった。 
だからすごい悔しいし、ヘボヘボだけど恥じないよう頑張らなきゃって思う。


Photo_is


すごいつらいことがあってもね、みんなが最終局面でがんばれるのは
あなたを思い出すからなんよ。

やっとねー、やっと泣かないで思い出せるようになった。
大人になったもんだわ。 

あの震災の怖さは今でも尾をひいてて、
微震でも飛び起きちゃうし、2階以上には住みたくない。

今日この日は、何年経っても君を想う。

みなさん!防災セットは常にご準備くださいね~。


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コメント

当時、大阪の人と結婚していました。
すんでいたのは別のところだったけど。
何故か朝にラジオがなって、震災を告げた。
大阪にはその時に電話が通じたが、その後は通じなくなった。

近い家族は誰もなくなっていなかったが、
親戚の高校生の子がなくなった。

あのときのTV中継は忘れない。
今でも思い出す。
何もできなかったので、せめて大阪へ仕送りだけはした。
それしかできなかったの・・・。

ご冥福をお祈りします。

投稿: wildcat | 2008年1月17日 (木) 07:46

wildcatさま

このときに「また今度」は
あたりまえじゃないことを
実感しました。

各自がそれぞれの形で何かできないかを
探しもしましたよね。
私、このとき人って優しいなって
本当に思えることもあって。

怖くてズキズキする記憶ですが
忘れたくないです。
いたいですけどね。。


投稿: 毬詠 | 2008年1月17日 (木) 21:14

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